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仙台通信19
あの11日の午後から、ライフラインが絶たれました。
日中だったため、しばらく気が付かなかったんです。
日が暮れてきて始めて、電気・ガス・水道、
すべてが止まっていることに気が付きました。
その時からずっと「ラジオ生活」が続いています。
勿論、携帯でTVを見ることはできるけれど、
出てくるのは、TV局内が揺れている映像ばかり。
ひとつも役に立たないんです。
「役に立つ映像」なんて、そんなにあるもんじゃないし。
おバカなアナウンサーががなりたてているだけで、中身は何も無い。
そんなものに携帯の電池を消費させるわけにはいきません。
最初聴いていた東北最大のネットワークを誇る
東北放送が受信できなくなりました。
以来ずっとNHKを聴いています。
国営放送であるにもかかわらず、今日はどこの店が開いて、
明日はドコそこの店が開く予定だ、と実名で放送していました。
そしてもうひとつ。
東北で一番の部数を誇る河北新報。新聞です。
驚くべきことに、12日には号外が家に届きました。
印刷するのもすごいが、新聞配達員が動いたのもすごい。
ここにもお店の情報やライフライン情報が出ます。
この2つを目安に、自分の情報網を駆使して、ピンポイントで狙う。
一日はとても短いです。そうそう並んでばかりはいられません。
そうこうしながらも、ポケットにはラジオ。
出かけるときは、イヤホーンをしたままでです。
バスに乗ってる時も、歩いている時も、並んでいる時も。
そんな中で一番良く聴いたのが、
サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」。
たぶんもう、10回ぐらい聴いています。
リクエストする人が多いんですね。
奇しくもこの「明日に架ける橋」が出てから40年。
40周年記念盤が出るらしい。
俺がサイモン&ガーファンクルを聴き始めたのは中学生の頃。
以来、ずっとこの曲は聴き継がれ、歌い継がれています。
勿論俺のコレクションにも、この2人のアルバムは多数あります。
サイモン&ガーファンクルはオリジナル盤が少なく、
そのためもあって、ブートが多数存在します。
そしておのおののソロアルバムも。
この40周年記念盤。初回特典にはDVDが付くらしいんですが、
仙台に入ってくるのだろうか?
ネットで買うしかないのかな?
ぜひとも買っておくべき、記念盤だと思います。
音楽はCDで聴くのもいいけど、
ラジオで聴くのも、また一味違って良いものです。
FMラジオでコンプされた音も、
AMラジオでモノラルになるのも、
その聴いた瞬間の時間に溶け込んでくれます。
これはCDプレイヤーの前では、非常に起こりにくい現象です。
まったく皆無ではないけれど、聴こうと思って聴いた時と、
知らずに流れてきたのでは、曲の意味合いが変わる気がします。
「音楽で勇気を貰った」
「音楽でパワーを貰った」
「音楽で元気を貰った」
俺にはこういった経験がありません。
俺にとって音楽は、そういう存在ではないんです。
50年間聴いてきた音楽は、俺の体の一部であり、
いつどんな時も、頭から消えるものではありません。
従って、そこから特別なものを得ることはありません。
浜省を見に行って、町支君を見ている人間です。
TOTOを見に行って、ジェフリーを見ている人間です。
勇気やパワーや元気など貰ってる暇などありません(笑)。
最近で一番パワーを貰ったとすれば、
レニー・カストロ氏と一緒にステージに立てた時かな。
レニーのパワーに圧倒されました。
まだまだ知らない音楽の世界があることにワクワクしました。
俺が後ろを振り向くと、そこにレニーがいることの不思議さ。
俺の人生は音楽と共にあったことが嬉しかった瞬間です。
勿論それは、エイプリル・バンドがあってこそだし、
エイプリルと一緒にいてくれる人達がいたからこそである。
俺にとって音楽は、そういったものであって、
何かを聞いて、元気や勇気は出るものではありません。
でも・・・
「心にしみる」っていうのは、ありますね。
夕暮れせまる町並みを、バスの中からぼんやり見ながら、
この「明日に架ける橋」が聴こえて来た時は、
涙なんか通り越して、心にしみてきました。
何百回・何千回聴いたかわからないこの曲に、
あの瞬間、支配されました。
なんて表現したらいいのか、うまい言い方が見つからないけど。
アートは、とてもいい声ですね。
ある意味、とても変わった声の持ち主です。
もしポールと出会ってなければ、うまくいかなかったかもしれません。
それぐらい「サイモン&ガーファンクルという音楽」にピッタリです。
勿論ポールの声も好きだし、ギターも最高です。
俺にとって世界最高のデュオはロギンズ&メッシーナだけど、
ベラミー・ブラザーズと並んで、世界三大デュオ・グループです。
日本中で、世界中で、支援の輪が広がっています。
多くの有名人が炊き出しに来てくれています。
多くのミュージシャンがチャリティ・コンサートを開いたり、
応援ソングを出したりしています。
残念ながら、こちらでそれを見ることはできないし、
定着しそうな応援ソングもまだありません。
うらやましいと思う反面、ありがたいことだと思います。
そして、そこに何らかの形で参加してる人。
街角で10円でも100円でも募金してくれた人。
何もしてあげられないなんて、悩んだりしないで下さいね。
何か1つしてくれれば、それで肩の荷を降ろして下さい。
節電でもかまわないし、メール1通でもいいんです。
いやほんとに、気にしてくれるだけでいいんです。
忘れないでくれれば、それでいいんです。
今東日本全体が、揺れに揺れています。
日本人の半分が、東北の人と同じ思いを感じているはずです。
日本の2分の1ですよね。
誰も何もしてくれない、なんて思ってる人はいません。
何らかの形で、みんな何か助けられています。
確かに助けてくれた人は1人かもしれませんが、
その後ろには、みんながいてくれることを感じます。
自分が立ち上がって1歩踏み出すと、
そこに手を差し伸べてくれる人がいることに気が付き、
みんな喜びを感じています。
ボランティアの人が足りません。
お医者さん・看護師さんが足りません。
実際は、何もかもが足りません。
でもそれをあなたのせいだなんて、誰も思っていません。
忘れないでくれるだけで、いいんです。
ボランティアの人も疲れています。
学校が始まったら帰ろうと思っていたのに、
あまりの状態に帰りそびれてしまった人もいます。
お願いですから、行政はボランティアの人のことも考えてあげて下さい。
疲れて座り込んでいるボランティアの人にも、
手を差し伸べてあげて下さい。
彼らは「善意」だけで動いています。
「食料は十分です。」
ここしばらく、よく聞きませんか?
確かに「支援物資としての食料」は、足りているのかもしれません。
でも、おにぎりが1年分あっても、人は生きられませんよね。
これは断じて、贅沢ではありません。
俺ですらおにぎりは、2週間で飽きました。
「食べられるもの」と「食べたいもの」が違うの、
わかってもらえますか?
石巻のヤツは、チョコレートを買うために並んだそうです。
それが手っ取り早い「甘いもの」だったそうです。
俺も2週間で「食パン」が食べたくなりました。
これって、贅沢ですか?
どんなに支援物資がダンボールで山積されても、
生きてゆくことはできるかもしれませんが、
ストレスの元になる欲求は満たされません。
でもそれが俺の「食パン」のように、
ものすごい「ちっぽけな欲求」だったりするんです。
「松阪牛、くいてえ~!」
なんて聞いたことがありません。
饅頭だったり、アイスクリームだったり、プリンだったり。
100円玉1個あれば買えるものが、食べられない人がいます。
三陸の海岸の町に、もともと自動販売機なんてありません。
あったとしても、流されています。
こんなちっぽけな食べ物に対する欲求すら満たすことができないなんて、
21世紀になって体験するとは、思いませんでした。
仙台から物資が消えたとき、自動販売機のモノも消えました。
一番最初に無くなったのは、甘い紅茶やココア。
次に普通の缶コーヒーが消えて、スポーツ・ドリンクが消えて、
最後まで残っていたのは、「缶コーヒー無糖」。
街を出歩かなかった飲料メーカーの人には、わからなかったでしょうね。
売り切れた自動販売機の前で、それでも確認していた人を何人も見ました。
人間って、無いのがわかっていても、確認するもんなんですね。
缶コーヒーをまともに供給できるのが
ダイドードリンコ1社だと聞いた時は、愕然としました。
だから自動販売機が、なかなか動かなかったんですね。
電気より、かなり遅れました。
想定外
便利な言葉ですね。いったいどれだけ使われたでしょう。
でも俺達のように、想定してた人もいたんです。
だから海からこんなに離れていても、
「津波」と聞いて、逃げたんです。
防災ヘリが津波を告げるなんて、ありえない状況なんです。
でも一歩間違えばここまで来ると、俺は思っていました。
俺と最後まで一緒にいたやつも同じです。
普段から自然の中にいると、人間の想定なんてほんとにあてになりません。
人間が考えることの10倍100倍のパワーがあります。
自然を知らない人に、もともと想定などできるわけがありません。
「想定外でした」と言ってるのは、
「私が無知でした」と言ってるのと同じです。
いや、同じだと思って聞いてあげて下さい。
「研究」や「想定」は、過去のものです。
過去にこうだったから、こうしましょう、です。
未来を予測しようとすると、ほとんどは笑われます。
宮城県沖地震の来る確立は70%で、
もういつ来てもおかしくないといわれていました。
で、結果がこれです。
99%の人が、何もしていませんでした。
2回目に来た大きな揺れの時の確立が20%。
実際にはまだ、この「70%」のほうの揺れは来ていません。
俺は「くるもの」だと思っています。
「石油の備蓄」
「米の備蓄」
過去に起きた色々な時に、聞きましたよね?
で、実際は?
何もなされていませんでしたね。
みんな「その場しのぎ」のセリフでした。
では、今回は?
まあ1年も経てば、また同じだと思います。
「緊急に対策を考える」なんて・・・
20mを超える防波堤で、日本を囲うつもりでしょうか?
言い出しかねませんよね。
原発や発電所の引越しがあるかもしれません。無理ですけど。
そんなことより、今をどうするつもりなんでしょう?
みんな疲れ果てています。
とてもじゃないケド、「がんばれ!」なんて言えません。
俺が言えるのは、
「がんばらなくていいから、くじけないで下さい。」
これしか言えません。
ときた
日中だったため、しばらく気が付かなかったんです。
日が暮れてきて始めて、電気・ガス・水道、
すべてが止まっていることに気が付きました。
その時からずっと「ラジオ生活」が続いています。
勿論、携帯でTVを見ることはできるけれど、
出てくるのは、TV局内が揺れている映像ばかり。
ひとつも役に立たないんです。
「役に立つ映像」なんて、そんなにあるもんじゃないし。
おバカなアナウンサーががなりたてているだけで、中身は何も無い。
そんなものに携帯の電池を消費させるわけにはいきません。
最初聴いていた東北最大のネットワークを誇る
東北放送が受信できなくなりました。
以来ずっとNHKを聴いています。
国営放送であるにもかかわらず、今日はどこの店が開いて、
明日はドコそこの店が開く予定だ、と実名で放送していました。
そしてもうひとつ。
東北で一番の部数を誇る河北新報。新聞です。
驚くべきことに、12日には号外が家に届きました。
印刷するのもすごいが、新聞配達員が動いたのもすごい。
ここにもお店の情報やライフライン情報が出ます。
この2つを目安に、自分の情報網を駆使して、ピンポイントで狙う。
一日はとても短いです。そうそう並んでばかりはいられません。
そうこうしながらも、ポケットにはラジオ。
出かけるときは、イヤホーンをしたままでです。
バスに乗ってる時も、歩いている時も、並んでいる時も。
そんな中で一番良く聴いたのが、
サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」。
たぶんもう、10回ぐらい聴いています。
リクエストする人が多いんですね。
奇しくもこの「明日に架ける橋」が出てから40年。
40周年記念盤が出るらしい。
俺がサイモン&ガーファンクルを聴き始めたのは中学生の頃。
以来、ずっとこの曲は聴き継がれ、歌い継がれています。
勿論俺のコレクションにも、この2人のアルバムは多数あります。
サイモン&ガーファンクルはオリジナル盤が少なく、
そのためもあって、ブートが多数存在します。
そしておのおののソロアルバムも。
この40周年記念盤。初回特典にはDVDが付くらしいんですが、
仙台に入ってくるのだろうか?
ネットで買うしかないのかな?
ぜひとも買っておくべき、記念盤だと思います。
音楽はCDで聴くのもいいけど、
ラジオで聴くのも、また一味違って良いものです。
FMラジオでコンプされた音も、
AMラジオでモノラルになるのも、
その聴いた瞬間の時間に溶け込んでくれます。
これはCDプレイヤーの前では、非常に起こりにくい現象です。
まったく皆無ではないけれど、聴こうと思って聴いた時と、
知らずに流れてきたのでは、曲の意味合いが変わる気がします。
「音楽で勇気を貰った」
「音楽でパワーを貰った」
「音楽で元気を貰った」
俺にはこういった経験がありません。
俺にとって音楽は、そういう存在ではないんです。
50年間聴いてきた音楽は、俺の体の一部であり、
いつどんな時も、頭から消えるものではありません。
従って、そこから特別なものを得ることはありません。
浜省を見に行って、町支君を見ている人間です。
TOTOを見に行って、ジェフリーを見ている人間です。
勇気やパワーや元気など貰ってる暇などありません(笑)。
最近で一番パワーを貰ったとすれば、
レニー・カストロ氏と一緒にステージに立てた時かな。
レニーのパワーに圧倒されました。
まだまだ知らない音楽の世界があることにワクワクしました。
俺が後ろを振り向くと、そこにレニーがいることの不思議さ。
俺の人生は音楽と共にあったことが嬉しかった瞬間です。
勿論それは、エイプリル・バンドがあってこそだし、
エイプリルと一緒にいてくれる人達がいたからこそである。
俺にとって音楽は、そういったものであって、
何かを聞いて、元気や勇気は出るものではありません。
でも・・・
「心にしみる」っていうのは、ありますね。
夕暮れせまる町並みを、バスの中からぼんやり見ながら、
この「明日に架ける橋」が聴こえて来た時は、
涙なんか通り越して、心にしみてきました。
何百回・何千回聴いたかわからないこの曲に、
あの瞬間、支配されました。
なんて表現したらいいのか、うまい言い方が見つからないけど。
アートは、とてもいい声ですね。
ある意味、とても変わった声の持ち主です。
もしポールと出会ってなければ、うまくいかなかったかもしれません。
それぐらい「サイモン&ガーファンクルという音楽」にピッタリです。
勿論ポールの声も好きだし、ギターも最高です。
俺にとって世界最高のデュオはロギンズ&メッシーナだけど、
ベラミー・ブラザーズと並んで、世界三大デュオ・グループです。
日本中で、世界中で、支援の輪が広がっています。
多くの有名人が炊き出しに来てくれています。
多くのミュージシャンがチャリティ・コンサートを開いたり、
応援ソングを出したりしています。
残念ながら、こちらでそれを見ることはできないし、
定着しそうな応援ソングもまだありません。
うらやましいと思う反面、ありがたいことだと思います。
そして、そこに何らかの形で参加してる人。
街角で10円でも100円でも募金してくれた人。
何もしてあげられないなんて、悩んだりしないで下さいね。
何か1つしてくれれば、それで肩の荷を降ろして下さい。
節電でもかまわないし、メール1通でもいいんです。
いやほんとに、気にしてくれるだけでいいんです。
忘れないでくれれば、それでいいんです。
今東日本全体が、揺れに揺れています。
日本人の半分が、東北の人と同じ思いを感じているはずです。
日本の2分の1ですよね。
誰も何もしてくれない、なんて思ってる人はいません。
何らかの形で、みんな何か助けられています。
確かに助けてくれた人は1人かもしれませんが、
その後ろには、みんながいてくれることを感じます。
自分が立ち上がって1歩踏み出すと、
そこに手を差し伸べてくれる人がいることに気が付き、
みんな喜びを感じています。
ボランティアの人が足りません。
お医者さん・看護師さんが足りません。
実際は、何もかもが足りません。
でもそれをあなたのせいだなんて、誰も思っていません。
忘れないでくれるだけで、いいんです。
ボランティアの人も疲れています。
学校が始まったら帰ろうと思っていたのに、
あまりの状態に帰りそびれてしまった人もいます。
お願いですから、行政はボランティアの人のことも考えてあげて下さい。
疲れて座り込んでいるボランティアの人にも、
手を差し伸べてあげて下さい。
彼らは「善意」だけで動いています。
「食料は十分です。」
ここしばらく、よく聞きませんか?
確かに「支援物資としての食料」は、足りているのかもしれません。
でも、おにぎりが1年分あっても、人は生きられませんよね。
これは断じて、贅沢ではありません。
俺ですらおにぎりは、2週間で飽きました。
「食べられるもの」と「食べたいもの」が違うの、
わかってもらえますか?
石巻のヤツは、チョコレートを買うために並んだそうです。
それが手っ取り早い「甘いもの」だったそうです。
俺も2週間で「食パン」が食べたくなりました。
これって、贅沢ですか?
どんなに支援物資がダンボールで山積されても、
生きてゆくことはできるかもしれませんが、
ストレスの元になる欲求は満たされません。
でもそれが俺の「食パン」のように、
ものすごい「ちっぽけな欲求」だったりするんです。
「松阪牛、くいてえ~!」
なんて聞いたことがありません。
饅頭だったり、アイスクリームだったり、プリンだったり。
100円玉1個あれば買えるものが、食べられない人がいます。
三陸の海岸の町に、もともと自動販売機なんてありません。
あったとしても、流されています。
こんなちっぽけな食べ物に対する欲求すら満たすことができないなんて、
21世紀になって体験するとは、思いませんでした。
仙台から物資が消えたとき、自動販売機のモノも消えました。
一番最初に無くなったのは、甘い紅茶やココア。
次に普通の缶コーヒーが消えて、スポーツ・ドリンクが消えて、
最後まで残っていたのは、「缶コーヒー無糖」。
街を出歩かなかった飲料メーカーの人には、わからなかったでしょうね。
売り切れた自動販売機の前で、それでも確認していた人を何人も見ました。
人間って、無いのがわかっていても、確認するもんなんですね。
缶コーヒーをまともに供給できるのが
ダイドードリンコ1社だと聞いた時は、愕然としました。
だから自動販売機が、なかなか動かなかったんですね。
電気より、かなり遅れました。
想定外
便利な言葉ですね。いったいどれだけ使われたでしょう。
でも俺達のように、想定してた人もいたんです。
だから海からこんなに離れていても、
「津波」と聞いて、逃げたんです。
防災ヘリが津波を告げるなんて、ありえない状況なんです。
でも一歩間違えばここまで来ると、俺は思っていました。
俺と最後まで一緒にいたやつも同じです。
普段から自然の中にいると、人間の想定なんてほんとにあてになりません。
人間が考えることの10倍100倍のパワーがあります。
自然を知らない人に、もともと想定などできるわけがありません。
「想定外でした」と言ってるのは、
「私が無知でした」と言ってるのと同じです。
いや、同じだと思って聞いてあげて下さい。
「研究」や「想定」は、過去のものです。
過去にこうだったから、こうしましょう、です。
未来を予測しようとすると、ほとんどは笑われます。
宮城県沖地震の来る確立は70%で、
もういつ来てもおかしくないといわれていました。
で、結果がこれです。
99%の人が、何もしていませんでした。
2回目に来た大きな揺れの時の確立が20%。
実際にはまだ、この「70%」のほうの揺れは来ていません。
俺は「くるもの」だと思っています。
「石油の備蓄」
「米の備蓄」
過去に起きた色々な時に、聞きましたよね?
で、実際は?
何もなされていませんでしたね。
みんな「その場しのぎ」のセリフでした。
では、今回は?
まあ1年も経てば、また同じだと思います。
「緊急に対策を考える」なんて・・・
20mを超える防波堤で、日本を囲うつもりでしょうか?
言い出しかねませんよね。
原発や発電所の引越しがあるかもしれません。無理ですけど。
そんなことより、今をどうするつもりなんでしょう?
みんな疲れ果てています。
とてもじゃないケド、「がんばれ!」なんて言えません。
俺が言えるのは、
「がんばらなくていいから、くじけないで下さい。」
これしか言えません。
ときた
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No title
鴇田さんから、音楽の話しが出て何だか嬉しいです。
私は音楽から元気をもらったり励まされたりしている方です。
鴇田さんの身体には音楽という血が流れているのですね。酸素というか赤血球白血球というレベルなんですね。^^
私は音楽から元気をもらったり励まされたりしている方です。
鴇田さんの身体には音楽という血が流れているのですね。酸素というか赤血球白血球というレベルなんですね。^^
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