報道のありかた
今回の惨劇で亡くなられた方には、哀悼の意を表します。
しかし棒を持って再現したり、時間を計って検証するような
無神経な報道には、苛立ちしかありません。
「死ぬなら一人で死ね」「人に迷惑をかけずに勝手に死ね」
あちらこちで書き込みを見かけます。
それに対し「その意見は止めてくれ」と書かれたものが
世間の大反発を受けています。
たしかに多くの人がそう思っているのは間違いないです。
遺族の方もそう思っているでしょう。でも・・・
一つには、それを意見としてSNS等に書き込むのは間違いだと思います。
もう一つは、それに対して今この瞬間にやめてくれと言うのもどうかと思います。
今まではやり場のない意見は、多くの場合自分の中のものでした。
それが今は簡単にSNS等に言葉として吐き出すことができてしまいます。
そして一人が書き込むことによって、多くの賛同者が出てしまいます。
「みんなもそう思うだろ?」「そうだ!そうだ!」になります。
当然哀しみが増幅し、犯人への炎上がはじまります。
ただしそれでは物事の原因が見えなくなってしまいます。
犯人→犯行→自殺
民衆の怒りは「犯行」に対してです。
そして「自殺」が犯人の「犯行からの逃げ」に見えてしまいます。
しかし・・・
犯人→自殺≒犯行
です。本来「なぜ自殺しようと思ったのか?」が主となるべきものが
「なぜ犯行を犯したのか?」にすり替わってしまいます。
「自殺する人間が、犯行を犯した理由」が問われるべきもの。
ところが「一人で死ね」では、これが欠如してしまいます。
自殺する人間が犯行に及んだ理由
これを突き止め、今後自殺するような人に
このような犯罪を犯させないためにはどうしたらいいのか?
この部分がわからない限り、このような惨劇を止める術がありません。
自殺に及ぶ人の精神を行動分析・精神分析・犯罪分析し
その原因を取り除く必要があるわけです。
今回の惨劇を犯罪分析してもはじまりません。
自殺するための行動だからだからです。
なのでまず精神分析が必要。自殺の理由の特定です。
まず間違いなく「孤独」であったこと。
誰にも理解されず、誰も助けてくれる人がおらず、
誰も話を聞いてくれないので起こした行動だと思われます。
そこから犯行に及ぶ行動を分析する必要があります。
犯行に及ぶことによって、自分を主張したと思われます。
従ってこの惨劇を事細かにマスコミが取り上げると
コピー・キャット=模倣犯が出る可能性があります。
孤独が引き金の自殺でも、このような犯行に及ぶことにより
自分を知ってくれるように見えてしまします。
ただの自殺ではそのまま消えてしまうものが、
自分の名前と共に多くの人に知って貰える手段に見えるということです。
マスコミが騒げば騒ぐほど「今、自殺しようとしている人」の
目や耳に届く可能性が高くなります。
報道は、広く一般に知らしめること
それがいつの間にかエンターテインメントになっています。
犯罪を防止・抑止するわけでも、対処方法を考えるわけでもありません。
そして今はSNSがこれに大きく加担しています。
何も考えずにタレントやお笑いの人がしゃべります。
一般人の意見の代表なのかもしれませんが、深くは考えていません。
その発言が今後にどのような影響があるかなんて
考えながら言ってる人など皆無でしょう。
実際問題「一人で死ね」は当然だし、俺だってそう思います。
だけどそれを言ってしまったら、本質は何も見えてきません。
爆弾魔の犯行があったとします。手製爆弾だとしましょう。
マスコミはそれがどのようなもので、どうやって作ったか?を
何も知らない人にまで教えてしまいます。
どんな風に作って、どのくらい威力のあるものなのか?
面白おかしく図を描いてまで教えます。
「百均で買えるもので、火薬は・・・」
はて、これが何かの抑止になるんでしょうか?
これが「報道」なのでしょうか?
前出の棒を持って再現、時間を計って検証。
位置関係から人物図まで事細かに。
これでは犯行を成功されるための設計図を教えることになります。
同じようにやれば、誰でも犯罪を成功させられます。
果たして民衆はそれを知りたがっているのでしょうか?
知らせることによってどのような効果があるのでしょうか?
ワイドショーはそんなことなど考えてはいませんね。
何も考えていない「エンターテイメント」です。
もし何かを考えているとしたら、とてもじゃないけど
遺族からコメントをとろうなんて思わないハズです。
家族を失った人に「今の気持ちは?」なんて・・・
俺だったらそのアナウンサーをぶん殴っていると思います。
マスコミが「一人で死ね」を取り上げるのも間違っています。
遺族の方がそう思っていたとしても、取り上げるべきではありません。
哀しみの連鎖を、悲しみの増幅を起こすだけです。
かといって今の時点で「それを言うのは止めて下さい。」は
言うべきことではありませんでしたね。
何もこの渦中に発言すべきことではありません。
言わなければすぐに鎮静化するのに。
同じような犯罪は今までにもあったし、海外でも起きたばかりです。
その都度このように発信するべきものであったし、
今回ならばもう少し時間を置いて言うべきことでした。
炎上しているところにガソリンをぶちまけるようなものです。
「一人で死ね」をなぜ言ってはいけないのか?
もっと別な方法で広める方法はあるはずです。
犯行を犯したから自殺したわけではない。
自殺するために犯した犯行である。
もっとゆっくり説明しなければ、反感を買うだけです。
あの言い方では、ほとんどの人が理解できないとおもいます。
もっともっと丁寧な説明が必要。
「一人で死ね」はイジメと構造が同じだと教える必要があります。
犯人→犯行→自殺
単純に犯行だけ考えても、何の解決策もありません。
引き金は「自殺」のほうにあるんですから。
「自殺」を抑止しなければ、同様の犯行は抑えられません。
薬物による無差別犯行とも、むしゃくしゃが原因の犯行とも異なります。
「なぜ自殺に追い込まれたか?」がこの犯行の主軸です。
犯行そのものを分析しても何の解決にもなりません。
マスコミのエンターテインメントも、「一人で死ね」の炎上も
かえって本質を見失うことになってしまいます。
日本はまだプロファイリングが未熟であり、
行動分析・精神分析・犯罪分析などと言っても笑われてしまいます。
「言論の自由」を振り回すマスコミに対し
正当性をもって黙らせる方法を知りません。
説得力のある説明で「このような表現は控えて下さい」と
伝えていくしかないんです。
「神戸連続児童殺傷事件」に対しマスコミは
「酒鬼薔薇聖斗事件」のように犯人・犯行に名前を付けてしまいました。
おかげで模倣犯を生むことになり、犯人に心酔する人間を生んでしまいました。
犯人・犯行に名前を付けてはいけないのは、プロファイルの基本中の基本。
現在の日本の犯罪報道は、このような事を無視したものばかりです。
「犯罪報道」はエンターテイメントではありません。
おかしな報道には、我々が「NO!」というしかありません。
ご冥福をお祈りいたします。
しかし棒を持って再現したり、時間を計って検証するような
無神経な報道には、苛立ちしかありません。
「死ぬなら一人で死ね」「人に迷惑をかけずに勝手に死ね」
あちらこちで書き込みを見かけます。
それに対し「その意見は止めてくれ」と書かれたものが
世間の大反発を受けています。
たしかに多くの人がそう思っているのは間違いないです。
遺族の方もそう思っているでしょう。でも・・・
一つには、それを意見としてSNS等に書き込むのは間違いだと思います。
もう一つは、それに対して今この瞬間にやめてくれと言うのもどうかと思います。
今まではやり場のない意見は、多くの場合自分の中のものでした。
それが今は簡単にSNS等に言葉として吐き出すことができてしまいます。
そして一人が書き込むことによって、多くの賛同者が出てしまいます。
「みんなもそう思うだろ?」「そうだ!そうだ!」になります。
当然哀しみが増幅し、犯人への炎上がはじまります。
ただしそれでは物事の原因が見えなくなってしまいます。
犯人→犯行→自殺
民衆の怒りは「犯行」に対してです。
そして「自殺」が犯人の「犯行からの逃げ」に見えてしまいます。
しかし・・・
犯人→自殺≒犯行
です。本来「なぜ自殺しようと思ったのか?」が主となるべきものが
「なぜ犯行を犯したのか?」にすり替わってしまいます。
「自殺する人間が、犯行を犯した理由」が問われるべきもの。
ところが「一人で死ね」では、これが欠如してしまいます。
自殺する人間が犯行に及んだ理由
これを突き止め、今後自殺するような人に
このような犯罪を犯させないためにはどうしたらいいのか?
この部分がわからない限り、このような惨劇を止める術がありません。
自殺に及ぶ人の精神を行動分析・精神分析・犯罪分析し
その原因を取り除く必要があるわけです。
今回の惨劇を犯罪分析してもはじまりません。
自殺するための行動だからだからです。
なのでまず精神分析が必要。自殺の理由の特定です。
まず間違いなく「孤独」であったこと。
誰にも理解されず、誰も助けてくれる人がおらず、
誰も話を聞いてくれないので起こした行動だと思われます。
そこから犯行に及ぶ行動を分析する必要があります。
犯行に及ぶことによって、自分を主張したと思われます。
従ってこの惨劇を事細かにマスコミが取り上げると
コピー・キャット=模倣犯が出る可能性があります。
孤独が引き金の自殺でも、このような犯行に及ぶことにより
自分を知ってくれるように見えてしまします。
ただの自殺ではそのまま消えてしまうものが、
自分の名前と共に多くの人に知って貰える手段に見えるということです。
マスコミが騒げば騒ぐほど「今、自殺しようとしている人」の
目や耳に届く可能性が高くなります。
報道は、広く一般に知らしめること
それがいつの間にかエンターテインメントになっています。
犯罪を防止・抑止するわけでも、対処方法を考えるわけでもありません。
そして今はSNSがこれに大きく加担しています。
何も考えずにタレントやお笑いの人がしゃべります。
一般人の意見の代表なのかもしれませんが、深くは考えていません。
その発言が今後にどのような影響があるかなんて
考えながら言ってる人など皆無でしょう。
実際問題「一人で死ね」は当然だし、俺だってそう思います。
だけどそれを言ってしまったら、本質は何も見えてきません。
爆弾魔の犯行があったとします。手製爆弾だとしましょう。
マスコミはそれがどのようなもので、どうやって作ったか?を
何も知らない人にまで教えてしまいます。
どんな風に作って、どのくらい威力のあるものなのか?
面白おかしく図を描いてまで教えます。
「百均で買えるもので、火薬は・・・」
はて、これが何かの抑止になるんでしょうか?
これが「報道」なのでしょうか?
前出の棒を持って再現、時間を計って検証。
位置関係から人物図まで事細かに。
これでは犯行を成功されるための設計図を教えることになります。
同じようにやれば、誰でも犯罪を成功させられます。
果たして民衆はそれを知りたがっているのでしょうか?
知らせることによってどのような効果があるのでしょうか?
ワイドショーはそんなことなど考えてはいませんね。
何も考えていない「エンターテイメント」です。
もし何かを考えているとしたら、とてもじゃないけど
遺族からコメントをとろうなんて思わないハズです。
家族を失った人に「今の気持ちは?」なんて・・・
俺だったらそのアナウンサーをぶん殴っていると思います。
マスコミが「一人で死ね」を取り上げるのも間違っています。
遺族の方がそう思っていたとしても、取り上げるべきではありません。
哀しみの連鎖を、悲しみの増幅を起こすだけです。
かといって今の時点で「それを言うのは止めて下さい。」は
言うべきことではありませんでしたね。
何もこの渦中に発言すべきことではありません。
言わなければすぐに鎮静化するのに。
同じような犯罪は今までにもあったし、海外でも起きたばかりです。
その都度このように発信するべきものであったし、
今回ならばもう少し時間を置いて言うべきことでした。
炎上しているところにガソリンをぶちまけるようなものです。
「一人で死ね」をなぜ言ってはいけないのか?
もっと別な方法で広める方法はあるはずです。
犯行を犯したから自殺したわけではない。
自殺するために犯した犯行である。
もっとゆっくり説明しなければ、反感を買うだけです。
あの言い方では、ほとんどの人が理解できないとおもいます。
もっともっと丁寧な説明が必要。
「一人で死ね」はイジメと構造が同じだと教える必要があります。
犯人→犯行→自殺
単純に犯行だけ考えても、何の解決策もありません。
引き金は「自殺」のほうにあるんですから。
「自殺」を抑止しなければ、同様の犯行は抑えられません。
薬物による無差別犯行とも、むしゃくしゃが原因の犯行とも異なります。
「なぜ自殺に追い込まれたか?」がこの犯行の主軸です。
犯行そのものを分析しても何の解決にもなりません。
マスコミのエンターテインメントも、「一人で死ね」の炎上も
かえって本質を見失うことになってしまいます。
日本はまだプロファイリングが未熟であり、
行動分析・精神分析・犯罪分析などと言っても笑われてしまいます。
「言論の自由」を振り回すマスコミに対し
正当性をもって黙らせる方法を知りません。
説得力のある説明で「このような表現は控えて下さい」と
伝えていくしかないんです。
「神戸連続児童殺傷事件」に対しマスコミは
「酒鬼薔薇聖斗事件」のように犯人・犯行に名前を付けてしまいました。
おかげで模倣犯を生むことになり、犯人に心酔する人間を生んでしまいました。
犯人・犯行に名前を付けてはいけないのは、プロファイルの基本中の基本。
現在の日本の犯罪報道は、このような事を無視したものばかりです。
「犯罪報道」はエンターテイメントではありません。
おかしな報道には、我々が「NO!」というしかありません。
ご冥福をお祈りいたします。