J-POP [ピンク色の研究]
「J-POP」
いつの頃から日本の音楽をそう呼ぶようになったんだろう。
前回・前前回に続いて「アレンジ」のよもやま話をしよう。
ある程度音楽を続けていると「編曲」ができるようになる。
というか「アレンジ」という作業が楽しくなる。
「作詞」「作曲」という選ばれし能力を持たない凡人でも
練習・研鑽を積めばアレンジはできる。
特に「バンド」という単位の中に身を置けば
自然とこの能力が身に付いてくる。
それはオリジナル曲でもコピー曲でも同じ。
「自分達の能力にみあった演奏」に直して演奏するからだ。
そしてそれは「スタジオ・ミュージシャン」と呼ばれる
「スペシャリスト」へのリスペクトに繋がってゆく。
自分で演奏することが不可能な高度な演奏を
カタチに出来る人々がいることへの気付きになる。
どんな駄作を持ってこられも、ある程度はカタチにできる。
その喜びを知った時、アレンジャーの偉大さに気付く。
その無限のループといっていい作業に喜びを感じられる。
そしてまた・・・
音楽の楽しさに気付き、音楽の喜びを知る。
そしてある日、発見することになる。
自分には出来ないアレンジを考え付くことのできる
偉大な人々がいることに。
それはまさに「作詞」「作曲」と同じレベルで
とてもクリエイティブな作業だということに。
なんといっても、この人・・・
瀬尾一三(せお いちぞう)敬称略
もう「先生」って呼びたいぐらい(笑)
壮大なストリングスに魅惑のカウンター・ライン
そして・・・
単純なコードラインにトゲを刺すアンサンブル
瀬尾作品は膨大な数存在する。
まず「昭和のアイドル」でお世話になっていない人など
一人もいないんじゃないか?というぐらいある。
聖子・明菜を筆頭に必ずといってもいいくらい
瀬尾作品が紛れ込んでいる。
B級・C級アイドルまで含んだらほんとに膨大な数。
次になんといっても「フォーク世代の大物」達。
吉田拓郎・長渕剛・甲斐よしひろ。
どっぷり瀬尾作品にハマっている。
かぐや姫・風・ふきのとう・バンバンも。
ニューミュージック世代もどっぷりお世話になっている。
杏里・チャゲアス・原田真二・八神純子・ハイファイセット。
しかもみんな名だたる「代表ヒット曲」が含まれている。
Wikiを見るだけで相当な数あるのだが
実際にはその倍以上ある。
最初に意識したのはいつ頃だろう・・・
「猫」の「各駅停車」か「バンバン」の「いちご白書」か。
70年代初頭なのはたしかなのだが。
とにかく変なアンサンブル(失礼!)が耳に引っかかる。
アイドル物は割と無難なアレンジなのだが
俺の琴線に引っかかるのは・・・変なアンサンブル(笑)
それと仰々しいストリングスとカウンター・ライン。
「カウンター・ライン」とうのはメインのメロディに対し
間を埋めるストリングスが「もう一つのメロディ」を
奏でることで「裏メロ」という言い方をする場合もある。
俺はこの「カウンター・ライン」というのがどうにも好きらしく
普通にメロディを聴かせられると自然に湧き出てくる。
というか「無いのに自然に聴こえてくる」。
けして「幻聴」ではありません(笑)
判りやすい例だと・・・
尾崎君の「傷つけた人々へ」(編曲:西本明)
「カウンター・ライン」の応酬のような曲。
ストリングスもコーラスも「このメロしかありません」
っていうぐらい同じラインを繰り返します。
この曲の主旋律に対して、自然にこのカウンター。
そしてサビには町支君のアルペジオ+ストリングス。
これ以外に取りようの無い音の並び。
「ボクをに~~~らむ~~~」にピッタリとはまる
アルペジオ+ストリングスの音の数。
そして間奏の鳥山君のツインリード。
このメロディが聴こえてしまいます
っていう強制的というか、それほど自然なメロ。
これ以外は似合わないというか、考えられない。
なのでエンディングのソロも、ほぼこのまま弾くことに。
俺の大好きな人々が完璧にアンサンブルしています。
のようにですね(笑)
緻密に組み立てられているのが瀬尾作品。
特にシンセとストリングスの組み合わせがバツグン。
同じラインなのにシンセと生を使い分けます。
それが圧倒的な完成をみたのが「徳永英明」作品。
「最後の言い訳」と「壊れかけのRadio」かな。
この2曲で
壮大なストリングスに魅惑のカウンター・ライン
単純なコードラインにトゲを刺すアンサンブル
これが揃います。
各楽器の出入り。音の並べ方。組み合わせ。
すべての「瀬尾アンサンブル」がお目見え。
変なところで入ってくるドラム。
低音が要らなければ消しちゃうベース。
けしてパワーコードを弾かせず単音処理。
勝手に動くストリングスと裏メロ。
そしてこれを使う時には・・・・
歌い手に圧倒的な歌唱力を求める!!
なんて酷な事でしょう(笑)
「瀬尾アンサンブル」に潰されない歌唱力がある人にだけ使う、
まさに「伝家の宝刀」です。
まずはこの2曲をたっぷり聴いて下さい。
これを十二分に体に吸収できた人は
「アレ」を聴いた瞬間に・・・
あっ、瀬尾さんだ!!!
(笑)
しかもそれに「TV」で遭遇するとは(爆)
それが中島みゆきさんの・・・
地上の星 ヘッドライト・テールライト
ですね。
「最後の言い訳」「壊れかけのRadio」さえ聴いていれば
まさに「瀬尾アンサンブル」の炸裂です。
みゆきさんの作品はまさに「瀬尾作品」のカタログ。
どんなヤンチャなアンサンブルでも、どんなに理不尽な音
でも、それを跳ね返す圧倒的なパワーの持ち主「中島みゆき」。
「地上の星」「 ヘッドライト・テールライト」
この2曲のイントロにはメロディがありません。
コード・トーンのみ(笑)
「最後の言い訳」「壊れかけのRadio」のさらに先。
地上の星
「おいおい、ベースはどこにいるの???」(笑)
ストリングスとピアノの左手ですでに音は飽和状態。
ベースは後半に補強でしか入らず、けしてストリングスと
ピアノの左手以外の音は出しません。
それでもこれでもかっ!!って言うぐらい音数は増えてきます。
絶妙な今剛クンのカッティングが絡んできたと思ったら
今クンじゃない人のギター・ソロ???
う~~~ん、古川さんでしょうか???
まさに魂一発。渾身のギター・ソロですね。
それに絡みつくように、なんと2回の転調。
ヘッドライト・テールライト
「おいおい、ベースはどこにいるの???」(笑)
ライブはダイジョウブかいな???(爆)
コーラスのコールアンドレスポンスとストリングスの裏メロ。
ぶ厚い音の洪水の中なのに、圧倒的歌唱力を要求。
ヘタすると、素のままの歌になっちゃう。
楽しんでいただけましたでしょうか?(笑)
「瀬尾作品」の基本的な楽しみかたです。
それともう一つ。「瀬尾作品」の重要なパーツ。
ギターは今剛!!!
あきらかに要求してますね。
これは全作品に共通して聴き取れます。
「地上の星」のような曲をクリーン・トーンで弾けと(笑)
この今クンの絶妙なバランス感覚を要求してくるのは
瀬尾さんとヒカルちゃんぐらいじゃないかな。
他にもいっぱい好きな作品があるんだケド。
伊勢正三 - ほんの短い夏
井上陽水 - 海へ来なさい
谷村新司 - Far away
ハイ・ファイ・セット - 雨のステイション
みんな上記アレンジの流れにあります。
そのほかにもポップな作品も。
杏里 - オリビアを聴きながら
藤谷美紀 - 応援してるからね(笑)
そして今日は、これでお別れです
久松史奈 - 天使の休息
作詞:久松史奈・藤生ゆかり
作曲:藤生ゆかり
編曲:瀬尾一三
久松史奈 - 天使の休息2020
Piano & Keyboards:小林信吾
Produced by 瀬尾一三
いつの頃から日本の音楽をそう呼ぶようになったんだろう。
前回・前前回に続いて「アレンジ」のよもやま話をしよう。
ある程度音楽を続けていると「編曲」ができるようになる。
というか「アレンジ」という作業が楽しくなる。
「作詞」「作曲」という選ばれし能力を持たない凡人でも
練習・研鑽を積めばアレンジはできる。
特に「バンド」という単位の中に身を置けば
自然とこの能力が身に付いてくる。
それはオリジナル曲でもコピー曲でも同じ。
「自分達の能力にみあった演奏」に直して演奏するからだ。
そしてそれは「スタジオ・ミュージシャン」と呼ばれる
「スペシャリスト」へのリスペクトに繋がってゆく。
自分で演奏することが不可能な高度な演奏を
カタチに出来る人々がいることへの気付きになる。
どんな駄作を持ってこられも、ある程度はカタチにできる。
その喜びを知った時、アレンジャーの偉大さに気付く。
その無限のループといっていい作業に喜びを感じられる。
そしてまた・・・
音楽の楽しさに気付き、音楽の喜びを知る。
そしてある日、発見することになる。
自分には出来ないアレンジを考え付くことのできる
偉大な人々がいることに。
それはまさに「作詞」「作曲」と同じレベルで
とてもクリエイティブな作業だということに。
なんといっても、この人・・・
瀬尾一三(せお いちぞう)敬称略
もう「先生」って呼びたいぐらい(笑)
壮大なストリングスに魅惑のカウンター・ライン
そして・・・
単純なコードラインにトゲを刺すアンサンブル
瀬尾作品は膨大な数存在する。
まず「昭和のアイドル」でお世話になっていない人など
一人もいないんじゃないか?というぐらいある。
聖子・明菜を筆頭に必ずといってもいいくらい
瀬尾作品が紛れ込んでいる。
B級・C級アイドルまで含んだらほんとに膨大な数。
次になんといっても「フォーク世代の大物」達。
吉田拓郎・長渕剛・甲斐よしひろ。
どっぷり瀬尾作品にハマっている。
かぐや姫・風・ふきのとう・バンバンも。
ニューミュージック世代もどっぷりお世話になっている。
杏里・チャゲアス・原田真二・八神純子・ハイファイセット。
しかもみんな名だたる「代表ヒット曲」が含まれている。
Wikiを見るだけで相当な数あるのだが
実際にはその倍以上ある。
最初に意識したのはいつ頃だろう・・・
「猫」の「各駅停車」か「バンバン」の「いちご白書」か。
70年代初頭なのはたしかなのだが。
とにかく変なアンサンブル(失礼!)が耳に引っかかる。
アイドル物は割と無難なアレンジなのだが
俺の琴線に引っかかるのは・・・変なアンサンブル(笑)
それと仰々しいストリングスとカウンター・ライン。
「カウンター・ライン」とうのはメインのメロディに対し
間を埋めるストリングスが「もう一つのメロディ」を
奏でることで「裏メロ」という言い方をする場合もある。
俺はこの「カウンター・ライン」というのがどうにも好きらしく
普通にメロディを聴かせられると自然に湧き出てくる。
というか「無いのに自然に聴こえてくる」。
けして「幻聴」ではありません(笑)
判りやすい例だと・・・
尾崎君の「傷つけた人々へ」(編曲:西本明)
「カウンター・ライン」の応酬のような曲。
ストリングスもコーラスも「このメロしかありません」
っていうぐらい同じラインを繰り返します。
この曲の主旋律に対して、自然にこのカウンター。
そしてサビには町支君のアルペジオ+ストリングス。
これ以外に取りようの無い音の並び。
「ボクをに~~~らむ~~~」にピッタリとはまる
アルペジオ+ストリングスの音の数。
そして間奏の鳥山君のツインリード。
このメロディが聴こえてしまいます
っていう強制的というか、それほど自然なメロ。
これ以外は似合わないというか、考えられない。
なのでエンディングのソロも、ほぼこのまま弾くことに。
俺の大好きな人々が完璧にアンサンブルしています。
のようにですね(笑)
緻密に組み立てられているのが瀬尾作品。
特にシンセとストリングスの組み合わせがバツグン。
同じラインなのにシンセと生を使い分けます。
それが圧倒的な完成をみたのが「徳永英明」作品。
「最後の言い訳」と「壊れかけのRadio」かな。
この2曲で
壮大なストリングスに魅惑のカウンター・ライン
単純なコードラインにトゲを刺すアンサンブル
これが揃います。
各楽器の出入り。音の並べ方。組み合わせ。
すべての「瀬尾アンサンブル」がお目見え。
変なところで入ってくるドラム。
低音が要らなければ消しちゃうベース。
けしてパワーコードを弾かせず単音処理。
勝手に動くストリングスと裏メロ。
そしてこれを使う時には・・・・
歌い手に圧倒的な歌唱力を求める!!
なんて酷な事でしょう(笑)
「瀬尾アンサンブル」に潰されない歌唱力がある人にだけ使う、
まさに「伝家の宝刀」です。
まずはこの2曲をたっぷり聴いて下さい。
これを十二分に体に吸収できた人は
「アレ」を聴いた瞬間に・・・
あっ、瀬尾さんだ!!!
(笑)
しかもそれに「TV」で遭遇するとは(爆)
それが中島みゆきさんの・・・
地上の星 ヘッドライト・テールライト
ですね。
「最後の言い訳」「壊れかけのRadio」さえ聴いていれば
まさに「瀬尾アンサンブル」の炸裂です。
みゆきさんの作品はまさに「瀬尾作品」のカタログ。
どんなヤンチャなアンサンブルでも、どんなに理不尽な音
でも、それを跳ね返す圧倒的なパワーの持ち主「中島みゆき」。
「地上の星」「 ヘッドライト・テールライト」
この2曲のイントロにはメロディがありません。
コード・トーンのみ(笑)
「最後の言い訳」「壊れかけのRadio」のさらに先。
地上の星
「おいおい、ベースはどこにいるの???」(笑)
ストリングスとピアノの左手ですでに音は飽和状態。
ベースは後半に補強でしか入らず、けしてストリングスと
ピアノの左手以外の音は出しません。
それでもこれでもかっ!!って言うぐらい音数は増えてきます。
絶妙な今剛クンのカッティングが絡んできたと思ったら
今クンじゃない人のギター・ソロ???
う~~~ん、古川さんでしょうか???
まさに魂一発。渾身のギター・ソロですね。
それに絡みつくように、なんと2回の転調。
ヘッドライト・テールライト
「おいおい、ベースはどこにいるの???」(笑)
ライブはダイジョウブかいな???(爆)
コーラスのコールアンドレスポンスとストリングスの裏メロ。
ぶ厚い音の洪水の中なのに、圧倒的歌唱力を要求。
ヘタすると、素のままの歌になっちゃう。
楽しんでいただけましたでしょうか?(笑)
「瀬尾作品」の基本的な楽しみかたです。
それともう一つ。「瀬尾作品」の重要なパーツ。
ギターは今剛!!!
あきらかに要求してますね。
これは全作品に共通して聴き取れます。
「地上の星」のような曲をクリーン・トーンで弾けと(笑)
この今クンの絶妙なバランス感覚を要求してくるのは
瀬尾さんとヒカルちゃんぐらいじゃないかな。
他にもいっぱい好きな作品があるんだケド。
伊勢正三 - ほんの短い夏
井上陽水 - 海へ来なさい
谷村新司 - Far away
ハイ・ファイ・セット - 雨のステイション
みんな上記アレンジの流れにあります。
そのほかにもポップな作品も。
杏里 - オリビアを聴きながら
藤谷美紀 - 応援してるからね(笑)
そして今日は、これでお別れです
久松史奈 - 天使の休息
作詞:久松史奈・藤生ゆかり
作曲:藤生ゆかり
編曲:瀬尾一三
久松史奈 - 天使の休息2020
Piano & Keyboards:小林信吾
Produced by 瀬尾一三
J-POP [詠時感〜時へのロマン]
「J-POP」
いつの頃から日本の音楽をそう呼ぶようになったんだろう。
前回に続いて「アレンジ」のよもやま話をしよう。
アレンジにおける、最大の仕事は?
なんといっても「イントロ」を作る作業だ。
印象的なイントロは曲の良さを何倍にも増幅する。
デビット・フォスターなどはイントロの名手だ。
名曲には名イントロ!!
イントロの音が鳴った瞬間、その曲の世界に引き込まれる。
アティチュード時代はまだ雑だったが
以後エアプレイ~シカゴまで「名曲には名イントロ」を
地でいってる人だ。
これは「間奏」や「エンディング=アウトロ」も同様に
みな曲に合うように作らなければいけない。
曲を最大限に生かすにはどうしたらいいのか?
歌い手より目立ってはいけない。
でも主張を消してもいけない。
1番大切なのは、歌い手が歌いやすいコト。
しかしある時には、歌い手に力量を求めることも必要。
そしてこれは「人選」にまで及ぶ。
間奏のギター・ソロを誰に弾かせるか?
仮にギタリストAさんとしよう。
Aさんに合わせた雰囲気で、狙いを定めて間奏や
エンディングを作る。
「Aさんなら、こんなプレイをしてくれるだろう」
そこではフレーズなどは指定せず、Aさんの才能に
「おまかせ」で最適な伴奏を作る。
しかしまったく逆な人たちもいる。
スティーリー・ダンのように何人ものギタリストを呼び
プレイさせてから最良のものを選ぶ。
前者の典型はボズ・スキャッグスの「You Can Have Me Anytime」
ルカサーという最強の切り札を持っていながら
ここ一番には「カルロス・サンタナ」の起用。
デビッド・フォスターはドライな人選の名手だ。
「このフレーズは、この人に限る!!」
となれば、たったワンフレーズのためだけに
超がつく大物でも呼んでプレイさせる。
ジャーメイン・ジャクソンの「If You Say My Eyes Are Beautiful」
のマイケル・オマーティアンもそうだ。
イントロのたった1小節=4音のためルカサーに
ソロの音をセットさせプレイさせている。
なのにギターソロは無い(笑)
同一音色では、かすかにオブリを入れている程度。
しかしイントロでは「最重要フレーズ」だ。
スティーリー・ダンの話は有名だろう。
まるでメンバーのように扱っていたラリー・カールトン
がいるにも関わらず、平気で他の人を起用する。
必要とあらばクビにしたメンバーでも平気で呼ぶ。
「Aja」の収められた「Peg」は
誰が聴いても「ラリー・カールトン」が弾くべき曲。
なのに選んだのは「ジェイ・グレイドン」。
おかげで「名曲」に「名演奏」が加わった。
--------------------------------------------------
通常の「編曲:◎◎◎◎」以外に、クレジットが付く場合がある。
コラース・アレンジ
ストリングス・アレンジ
ホーン・アレンジ
これらはいわゆる「スペシャリスト」の作業範囲。
その人選・楽器編成・得意不得意によって
大きく変わってしまうので「別発注」になる場合がある。
そんな千差万別なケースにも対応できる人が
優秀なアレンジャーとも言える。
--------------------------------------------------
2000年以降「DAW」によるいわゆる「打ち込み」
デジタルな演奏が増えてきた。
そこで起きた現象とは?
演奏=オケを作る人がアレンジャーになってしまった。
いわゆる「完パケ」の状態でハードディスクでの納入
スタイルが増えてきた。これは予算の関係もある。
「DAW」は基本自宅作業になり、スタジオはいらない。
そのほとんどを機械に演奏させるため、人件費も抑えられる。
へたすると「歌入れ」さえ、自宅スタジオでできる。
そしてコンペで競わせ、出来の良いモノを選べる。
そこで起きた現象とは?
けして複数人による「マジック」は起こりえない。
想定外の「名演」などは生まれてこない。
演奏者=アレンジャーになってしまったため
「面白味」や「広がり」は期待できない。
--------------------------------------------------
アレンジャーはキーボードの人が多い。
クラシックの素養があったり、譜面に強かったり。
あるいはアンサンブルを見渡せるからだ。
次にギタリストだろう。ロック系の曲であるならば
なんとしても「ギターの特性」を踏まえなければいけないからだ。
ベースとドラマーは少数派だ。ボーカリストも少数派。
何を基準として、誰に任せるか???
時と場合による、としか言いようがない。
アレンジャーにとって「個性」は時に邪魔になる。
その時々に「個性」を生かせるか?殺せるか?
--------------------------------------------------
そんなこんなを考えていると・・・
アレンジャーは万能に見える。
しかし・・・ しかしだ!!(笑)
確かに出来の悪い曲でも、ある程度はアレンジャーが
隠してくれる。
でも実際には、詞が良くて曲が良くて
演奏が良くてシンガーが良くなければ
アレンジが輝くことは無い。
ケーキで考えると判りやすい。
ケーキで大事なのは、本体のスポンジ。
ここにクリームを塗って「ケーキの本体」ができる。
ココが美味しくなければ、誰も食べきってはくれない。
ここにデコレーションが乗ってくる。
美味しいクリーム・美味しいフルーツで
可愛くて美味しいケーキとして着飾る。
美味しい素材が集まって1つのケーキができる。
それをどう着飾るのか?がアレンジの仕事だ。
実際に美味しい素材が集まるだけではダメ。
見るからに「美味しそう!!」
そう思わせなければいけない。
そして最後に、ショーウィンドウにきれいに並べられ
「見るからに美味しいヤツ」として歌い手が輝いて
初めて「うわ~オイシソウ~~~」と言われる。
定番のケーキがある。そして新作のケーキがある。
バター・クリームもあればチョコレートもある。
どれ一つ、欠けてはいけない。
あなたは・・・
誰が好き??? (^^♪
いつの頃から日本の音楽をそう呼ぶようになったんだろう。
前回に続いて「アレンジ」のよもやま話をしよう。
アレンジにおける、最大の仕事は?
なんといっても「イントロ」を作る作業だ。
印象的なイントロは曲の良さを何倍にも増幅する。
デビット・フォスターなどはイントロの名手だ。
名曲には名イントロ!!
イントロの音が鳴った瞬間、その曲の世界に引き込まれる。
アティチュード時代はまだ雑だったが
以後エアプレイ~シカゴまで「名曲には名イントロ」を
地でいってる人だ。
これは「間奏」や「エンディング=アウトロ」も同様に
みな曲に合うように作らなければいけない。
曲を最大限に生かすにはどうしたらいいのか?
歌い手より目立ってはいけない。
でも主張を消してもいけない。
1番大切なのは、歌い手が歌いやすいコト。
しかしある時には、歌い手に力量を求めることも必要。
そしてこれは「人選」にまで及ぶ。
間奏のギター・ソロを誰に弾かせるか?
仮にギタリストAさんとしよう。
Aさんに合わせた雰囲気で、狙いを定めて間奏や
エンディングを作る。
「Aさんなら、こんなプレイをしてくれるだろう」
そこではフレーズなどは指定せず、Aさんの才能に
「おまかせ」で最適な伴奏を作る。
しかしまったく逆な人たちもいる。
スティーリー・ダンのように何人ものギタリストを呼び
プレイさせてから最良のものを選ぶ。
前者の典型はボズ・スキャッグスの「You Can Have Me Anytime」
ルカサーという最強の切り札を持っていながら
ここ一番には「カルロス・サンタナ」の起用。
デビッド・フォスターはドライな人選の名手だ。
「このフレーズは、この人に限る!!」
となれば、たったワンフレーズのためだけに
超がつく大物でも呼んでプレイさせる。
ジャーメイン・ジャクソンの「If You Say My Eyes Are Beautiful」
のマイケル・オマーティアンもそうだ。
イントロのたった1小節=4音のためルカサーに
ソロの音をセットさせプレイさせている。
なのにギターソロは無い(笑)
同一音色では、かすかにオブリを入れている程度。
しかしイントロでは「最重要フレーズ」だ。
スティーリー・ダンの話は有名だろう。
まるでメンバーのように扱っていたラリー・カールトン
がいるにも関わらず、平気で他の人を起用する。
必要とあらばクビにしたメンバーでも平気で呼ぶ。
「Aja」の収められた「Peg」は
誰が聴いても「ラリー・カールトン」が弾くべき曲。
なのに選んだのは「ジェイ・グレイドン」。
おかげで「名曲」に「名演奏」が加わった。
--------------------------------------------------
通常の「編曲:◎◎◎◎」以外に、クレジットが付く場合がある。
コラース・アレンジ
ストリングス・アレンジ
ホーン・アレンジ
これらはいわゆる「スペシャリスト」の作業範囲。
その人選・楽器編成・得意不得意によって
大きく変わってしまうので「別発注」になる場合がある。
そんな千差万別なケースにも対応できる人が
優秀なアレンジャーとも言える。
--------------------------------------------------
2000年以降「DAW」によるいわゆる「打ち込み」
デジタルな演奏が増えてきた。
そこで起きた現象とは?
演奏=オケを作る人がアレンジャーになってしまった。
いわゆる「完パケ」の状態でハードディスクでの納入
スタイルが増えてきた。これは予算の関係もある。
「DAW」は基本自宅作業になり、スタジオはいらない。
そのほとんどを機械に演奏させるため、人件費も抑えられる。
へたすると「歌入れ」さえ、自宅スタジオでできる。
そしてコンペで競わせ、出来の良いモノを選べる。
そこで起きた現象とは?
けして複数人による「マジック」は起こりえない。
想定外の「名演」などは生まれてこない。
演奏者=アレンジャーになってしまったため
「面白味」や「広がり」は期待できない。
--------------------------------------------------
アレンジャーはキーボードの人が多い。
クラシックの素養があったり、譜面に強かったり。
あるいはアンサンブルを見渡せるからだ。
次にギタリストだろう。ロック系の曲であるならば
なんとしても「ギターの特性」を踏まえなければいけないからだ。
ベースとドラマーは少数派だ。ボーカリストも少数派。
何を基準として、誰に任せるか???
時と場合による、としか言いようがない。
アレンジャーにとって「個性」は時に邪魔になる。
その時々に「個性」を生かせるか?殺せるか?
--------------------------------------------------
そんなこんなを考えていると・・・
アレンジャーは万能に見える。
しかし・・・ しかしだ!!(笑)
確かに出来の悪い曲でも、ある程度はアレンジャーが
隠してくれる。
でも実際には、詞が良くて曲が良くて
演奏が良くてシンガーが良くなければ
アレンジが輝くことは無い。
ケーキで考えると判りやすい。
ケーキで大事なのは、本体のスポンジ。
ここにクリームを塗って「ケーキの本体」ができる。
ココが美味しくなければ、誰も食べきってはくれない。
ここにデコレーションが乗ってくる。
美味しいクリーム・美味しいフルーツで
可愛くて美味しいケーキとして着飾る。
美味しい素材が集まって1つのケーキができる。
それをどう着飾るのか?がアレンジの仕事だ。
実際に美味しい素材が集まるだけではダメ。
見るからに「美味しそう!!」
そう思わせなければいけない。
そして最後に、ショーウィンドウにきれいに並べられ
「見るからに美味しいヤツ」として歌い手が輝いて
初めて「うわ~オイシソウ~~~」と言われる。
定番のケーキがある。そして新作のケーキがある。
バター・クリームもあればチョコレートもある。
どれ一つ、欠けてはいけない。
あなたは・・・
誰が好き??? (^^♪
J-POP [失われたコードを求めて]
「J-POP」
いつの頃から日本の音楽をそう呼ぶようになったんだろう。
誰が作ったの?
誰が演ってるの?
その人の音楽はその人のモノであって
一括りにしてどうのこうのって・・・
「曲」っていうのは、メロディがあって詞があって。
それが曲の「核」になっている。
もちろんインストがあるけれども
それはメロディがあって「核となる楽器の音色」がある。
どっちも同じだ。
ただそれだけでは通常「作品」にはならない。
その曲を形作る「演奏」がある。
極端な話、まったく無伴奏のアカペラから
フル・オーケストラでの演奏まで。
それを「カタチ」にするのが・・・
アレンジャー=編曲者である。
これは一般の人には一番わかりにくい作業である。
まず誰かが「メロディー+詞」を作る。
その時にはまだギター1本であったり
ピアノだけで伴奏している状態だ。
いわゆる「デモ」の状態だ。
これをアレンジャーに渡し「伴奏」を作ってもらう。
一般の人はコードとメロディがありさえすれば
すぐに伴奏を作れるものだと思っているだろう。
ところがそうはいかない(笑)
まずは曲の速さ=BPMから始まる。
そのデモで上がってきた曲の、最適な速さは???
BPM=120なのかBPM=140なのか?
極端な話、スローなデモだったものがアップテンポ。
あるいは適度な速さだったものがスロー・バラード
になってしまうことすらある。
そしてこれにはただ単に「曲」に対する考え方と同時に
「その曲の必要性」に左右されることもある。
可愛いアイドルがいきなりスロー・バラードでは困る。
なので適度なスピードで爽やかにと発注される。
なので必ずしも「メロディー+詞」に対して
最適な速さとは限らない場合もある。
次に「編成」である。
アカペラの0人から大人数編成のオーケストラまで。
一般に多いのは「4リズム+α」。
ドラム+べ―ス+ギター+キーボード。
これに必要に応じてオーバー・ダビングする。
一番わかりやすい「4(フォー)リズム」にしよう。
「メロディー+詞」の速さが決まった時点で
「ドラムの基本パターン」を決めなければいけない。
バスドラは4つ打ちなのか8ビートなのか。
「メロディー+詞」に初めからイメージあるのなら
ボサノバやラテンやジャズなどのパターンにはめ
ドラムの基本が決まったら、次に「ベースのパターン」。
同じ速さでもこのドラムとベースの組み合わせにより
軽かったり重かったりできる。
ドラムが同じビート=例えばディスコ・ビートの4つ打ちでも
ベースが8ビートなら全然ディスコのはならない。
その無限な組み合わせの中からその「メロディー+詞」に
最適であろうパターンを作る。
そこに今度は「コード=和音」を乗せる。
それがギターなのかキーボードなのかによって
雰囲気はガラッとかわる。
ギターの音はひずんでいるのか、ノーマルなのか。
コード弾きなのかアルペジオなのか。
キーボードならピアノなのかエレピなのか。
はたまたブラスなのかストリングスなのか。
それを全部決めるのが「アレンジャー」の仕事である。
オーケストラとは言わないまでもストリングス。
4人編成で弦楽器を入れるならすべて「譜面」を書く。
クラシック畑の人は譜面がすべてである。
「おまかせ」なんていうのはできない。
でも「4(フォー)リズム」編成であれば
骨格を譜面にするだけで、細かいところは「おまかせ」
なんてことができる。細かいドラムの「オカズ」などは
担当者におまかせで演ってもらえる。
でも16ビートびっしり譜面もある(笑)
そこは「アレンジャー」のやり方次第である。
良いのか悪いのかわからないが日本人はどちらかといえば
「アレンジャー」にこだわる人種だ。
これは「歌謡曲」の時代に生まれたものだが
宮川泰先生・都倉俊一先生・筒美京平先生のような
「サウンド・プロデュース」までしてしまうやり方で
日本の音楽界に多大な功績を残してきた人たちがいたからだ。
誰がアレンジしたか?
それによってサウンドが決まる。
というより「そのアレンジャーのカラー」を
音楽業界の人々が欲しがったからだ。
ところが・・・だ(笑)
じゃあ同じことを、洋楽でしてるのか?というと・・・
割とこだわってない人のほうが多い(笑)
もちろんデビット・フォスターやリチャード・カーペンター
のように、極端にサウンドを染めてしまう人もいる。
フィル・スペクターやヴァン・ダイク・パークスもいる。
でもちょっと考えて欲しい。
あなたが知っているエバーグリーンともいうべき
世界的ヒット曲-もちろんなんでもいいのだが
アレンジャーまで知っている人は・・・いるかな???(笑)
あの名曲「スタンド・バイ・ミー」のアレンジは誰???
心配ありません。
「アレンジ」というクレジットはありませんから(爆)
いつの頃から日本の音楽をそう呼ぶようになったんだろう。
誰が作ったの?
誰が演ってるの?
その人の音楽はその人のモノであって
一括りにしてどうのこうのって・・・
「曲」っていうのは、メロディがあって詞があって。
それが曲の「核」になっている。
もちろんインストがあるけれども
それはメロディがあって「核となる楽器の音色」がある。
どっちも同じだ。
ただそれだけでは通常「作品」にはならない。
その曲を形作る「演奏」がある。
極端な話、まったく無伴奏のアカペラから
フル・オーケストラでの演奏まで。
それを「カタチ」にするのが・・・
アレンジャー=編曲者である。
これは一般の人には一番わかりにくい作業である。
まず誰かが「メロディー+詞」を作る。
その時にはまだギター1本であったり
ピアノだけで伴奏している状態だ。
いわゆる「デモ」の状態だ。
これをアレンジャーに渡し「伴奏」を作ってもらう。
一般の人はコードとメロディがありさえすれば
すぐに伴奏を作れるものだと思っているだろう。
ところがそうはいかない(笑)
まずは曲の速さ=BPMから始まる。
そのデモで上がってきた曲の、最適な速さは???
BPM=120なのかBPM=140なのか?
極端な話、スローなデモだったものがアップテンポ。
あるいは適度な速さだったものがスロー・バラード
になってしまうことすらある。
そしてこれにはただ単に「曲」に対する考え方と同時に
「その曲の必要性」に左右されることもある。
可愛いアイドルがいきなりスロー・バラードでは困る。
なので適度なスピードで爽やかにと発注される。
なので必ずしも「メロディー+詞」に対して
最適な速さとは限らない場合もある。
次に「編成」である。
アカペラの0人から大人数編成のオーケストラまで。
一般に多いのは「4リズム+α」。
ドラム+べ―ス+ギター+キーボード。
これに必要に応じてオーバー・ダビングする。
一番わかりやすい「4(フォー)リズム」にしよう。
「メロディー+詞」の速さが決まった時点で
「ドラムの基本パターン」を決めなければいけない。
バスドラは4つ打ちなのか8ビートなのか。
「メロディー+詞」に初めからイメージあるのなら
ボサノバやラテンやジャズなどのパターンにはめ
ドラムの基本が決まったら、次に「ベースのパターン」。
同じ速さでもこのドラムとベースの組み合わせにより
軽かったり重かったりできる。
ドラムが同じビート=例えばディスコ・ビートの4つ打ちでも
ベースが8ビートなら全然ディスコのはならない。
その無限な組み合わせの中からその「メロディー+詞」に
最適であろうパターンを作る。
そこに今度は「コード=和音」を乗せる。
それがギターなのかキーボードなのかによって
雰囲気はガラッとかわる。
ギターの音はひずんでいるのか、ノーマルなのか。
コード弾きなのかアルペジオなのか。
キーボードならピアノなのかエレピなのか。
はたまたブラスなのかストリングスなのか。
それを全部決めるのが「アレンジャー」の仕事である。
オーケストラとは言わないまでもストリングス。
4人編成で弦楽器を入れるならすべて「譜面」を書く。
クラシック畑の人は譜面がすべてである。
「おまかせ」なんていうのはできない。
でも「4(フォー)リズム」編成であれば
骨格を譜面にするだけで、細かいところは「おまかせ」
なんてことができる。細かいドラムの「オカズ」などは
担当者におまかせで演ってもらえる。
でも16ビートびっしり譜面もある(笑)
そこは「アレンジャー」のやり方次第である。
良いのか悪いのかわからないが日本人はどちらかといえば
「アレンジャー」にこだわる人種だ。
これは「歌謡曲」の時代に生まれたものだが
宮川泰先生・都倉俊一先生・筒美京平先生のような
「サウンド・プロデュース」までしてしまうやり方で
日本の音楽界に多大な功績を残してきた人たちがいたからだ。
誰がアレンジしたか?
それによってサウンドが決まる。
というより「そのアレンジャーのカラー」を
音楽業界の人々が欲しがったからだ。
ところが・・・だ(笑)
じゃあ同じことを、洋楽でしてるのか?というと・・・
割とこだわってない人のほうが多い(笑)
もちろんデビット・フォスターやリチャード・カーペンター
のように、極端にサウンドを染めてしまう人もいる。
フィル・スペクターやヴァン・ダイク・パークスもいる。
でもちょっと考えて欲しい。
あなたが知っているエバーグリーンともいうべき
世界的ヒット曲-もちろんなんでもいいのだが
アレンジャーまで知っている人は・・・いるかな???(笑)
あの名曲「スタンド・バイ・ミー」のアレンジは誰???
心配ありません。
「アレンジ」というクレジットはありませんから(爆)
J-POP [夜の彷徨]
「J-POP」
いつの頃から日本の音楽をそう呼ぶようになったんだろう。
日本人が作ったら、みんなJ-POP?
ったく失礼な!!
演歌に命をかけてる人
Rockに誇りを持ってる人
パンクにハートを持ってる人
Jazzにプライドをかけてる人
音楽=Musicとして括るならかまわないけど・・・
これを「文化」と言い張るなら、あまりにも度量が狭い
普通に世界に通用するのに!!
そんな中、俺の基準に近い人がいた
後追いGiRLPOP ディスクガイド
あくまでも歌っている人が中心。
同じ人のアルバムでも、必ず出来・不出来がある。
それを踏まえてちゃんと評価する。
ダメなものは取り上げない。
あくまでも「GiRLPOP」にこだわっている。
JPopとかCity Popじゃなくて。
独自の見解をもって「アルバム単位」での評価。
スバらしい!!
人にはどうしてしても「好き嫌い」がある。
それすらも踏まえて、独自の括り・独自のこだわりをもって
「GiRLPOP」というものを評価する。
しかもちゃんと「選盤」に基準がある。
選盤等について
これなら十分に「参考」にしていいと思う。
あくまでも「聴いた結果」であり「佐藤あんこ」氏なりの解釈。
評価するための音楽的素養も十分感じられる。
俺とはまた違った視点だけれども
その評価を納得させられる、確固たる語彙も持っている。
今まで俺のググりにヒットしなかったのが不思議なぐらいだ。
たぶん・・・
俺の中でも評価が定まっているいるモノが多く
「ググる対象」になりずらい作品だったのかもしれない。
調べるとなればもっと珍盤・迷盤のほうが多いから。
情報が無ければ無いほど命を燃やすのがヲタクの性(笑)
「作品として評価に値するモノ」をこれほどわかりやすく整然と
しかも淡々と記しているサイトも珍しい。
俺は「佐藤あんこ」氏を知らない。
ドコのどんな人なのか?男か女なのかさえも知らないし
調べる気もない。
ただ膨大な俺のライブラリーを聴きなおすには
最高のガイドの一つと言える。
「参考」にするならば・・・
淡々と事実のみが表記されているところか
このように「自分の基準」がはっきりしてる人が
俺は良いと思います。
いつの頃から日本の音楽をそう呼ぶようになったんだろう。
日本人が作ったら、みんなJ-POP?
ったく失礼な!!
演歌に命をかけてる人
Rockに誇りを持ってる人
パンクにハートを持ってる人
Jazzにプライドをかけてる人
音楽=Musicとして括るならかまわないけど・・・
これを「文化」と言い張るなら、あまりにも度量が狭い
普通に世界に通用するのに!!
そんな中、俺の基準に近い人がいた
後追いGiRLPOP ディスクガイド
あくまでも歌っている人が中心。
同じ人のアルバムでも、必ず出来・不出来がある。
それを踏まえてちゃんと評価する。
ダメなものは取り上げない。
あくまでも「GiRLPOP」にこだわっている。
JPopとかCity Popじゃなくて。
独自の見解をもって「アルバム単位」での評価。
スバらしい!!
人にはどうしてしても「好き嫌い」がある。
それすらも踏まえて、独自の括り・独自のこだわりをもって
「GiRLPOP」というものを評価する。
しかもちゃんと「選盤」に基準がある。
選盤等について
これなら十分に「参考」にしていいと思う。
あくまでも「聴いた結果」であり「佐藤あんこ」氏なりの解釈。
評価するための音楽的素養も十分感じられる。
俺とはまた違った視点だけれども
その評価を納得させられる、確固たる語彙も持っている。
今まで俺のググりにヒットしなかったのが不思議なぐらいだ。
たぶん・・・
俺の中でも評価が定まっているいるモノが多く
「ググる対象」になりずらい作品だったのかもしれない。
調べるとなればもっと珍盤・迷盤のほうが多いから。
情報が無ければ無いほど命を燃やすのがヲタクの性(笑)
「作品として評価に値するモノ」をこれほどわかりやすく整然と
しかも淡々と記しているサイトも珍しい。
俺は「佐藤あんこ」氏を知らない。
ドコのどんな人なのか?男か女なのかさえも知らないし
調べる気もない。
ただ膨大な俺のライブラリーを聴きなおすには
最高のガイドの一つと言える。
「参考」にするならば・・・
淡々と事実のみが表記されているところか
このように「自分の基準」がはっきりしてる人が
俺は良いと思います。
J-POP [海洋地形学の物語]
「J-POP」
いつの頃から日本の音楽をそう呼ぶようになったんだろう。
「J-POP」
「City Pop」
「Light Mellow」
ジャンル名とは呼べない曖昧なジャンル名
そこに混ぜられる人が可哀そう・・・
「伝説の~」
これはただ単に「往年の~」「昔の~」でいいじゃん。
たとえば「伝説のライブ」っていったら・・・
■落雷のフジロック
■燃え上がるキャロル解散
■飛び降りる尾崎
これぐらいなモンでしょう。
キャンディーズや百恵ちゃんは語られ過ぎ(笑)
ちっとも伝説化しません。
「若者のカリスマ」
「若者のカリスマ」がいるなら「中年のカリスマ」や
「老人のカリスマ」もいるんでしょうか?
単純に「人々の心を引きつけるような強い魅力。また、それをもつ人。」ならば
ヒット曲が出たらみんなカリスマ?
カリスマ、多すぎ(笑)
「名盤」
どこを見ても名盤だらけ。
自分のところで売ってるものはみな名盤。
どれだけのモノを比較しての名盤?
どこに基準がある名盤?
「大名盤」「超名盤」「名盤中の名盤」・・・
とりあえず名盤???
「国民的アイドル」
誰が決めたの?
どうやって決めたの?
俺は国民にカウントされてないからいいケド(笑)
「元国民的アイドル」
なんじゃい、それは??!!
「元」とか「現」とか「新」とか
「旧」とかあるんかい??!!
「歌姫」
これは・・・俺も悪い。
俺も使っているひとりだから。
ただしそれはバーブラ・ストライサンドとか
リンダ・ロンシュタットのような世界のトップクラス
のつもりだったんだけどね。
「絶大な不動の人気」+「圧倒的な歌唱力」
好き嫌いを語る人はいても
ウマいヘタを論じることのできない人。
「コレを聴け!!」って言える人。
「育てるコト」を知らない日本の音楽界では・・・
未来永劫、ムリなような気がする・・・
いつの頃から日本の音楽をそう呼ぶようになったんだろう。
「J-POP」
「City Pop」
「Light Mellow」
ジャンル名とは呼べない曖昧なジャンル名
そこに混ぜられる人が可哀そう・・・
「伝説の~」
これはただ単に「往年の~」「昔の~」でいいじゃん。
たとえば「伝説のライブ」っていったら・・・
■落雷のフジロック
■燃え上がるキャロル解散
■飛び降りる尾崎
これぐらいなモンでしょう。
キャンディーズや百恵ちゃんは語られ過ぎ(笑)
ちっとも伝説化しません。
「若者のカリスマ」
「若者のカリスマ」がいるなら「中年のカリスマ」や
「老人のカリスマ」もいるんでしょうか?
単純に「人々の心を引きつけるような強い魅力。また、それをもつ人。」ならば
ヒット曲が出たらみんなカリスマ?
カリスマ、多すぎ(笑)
「名盤」
どこを見ても名盤だらけ。
自分のところで売ってるものはみな名盤。
どれだけのモノを比較しての名盤?
どこに基準がある名盤?
「大名盤」「超名盤」「名盤中の名盤」・・・
とりあえず名盤???
「国民的アイドル」
誰が決めたの?
どうやって決めたの?
俺は国民にカウントされてないからいいケド(笑)
「元国民的アイドル」
なんじゃい、それは??!!
「元」とか「現」とか「新」とか
「旧」とかあるんかい??!!
「歌姫」
これは・・・俺も悪い。
俺も使っているひとりだから。
ただしそれはバーブラ・ストライサンドとか
リンダ・ロンシュタットのような世界のトップクラス
のつもりだったんだけどね。
「絶大な不動の人気」+「圧倒的な歌唱力」
好き嫌いを語る人はいても
ウマいヘタを論じることのできない人。
「コレを聴け!!」って言える人。
「育てるコト」を知らない日本の音楽界では・・・
未来永劫、ムリなような気がする・・・